本レポート『「やきもの」のある空間』では、大塚オーミ陶業の独自技術で製作する「やきもの」=「陶板(toban)」が設置された環境(空間)を紹介します。「陶板(toban)」について少しでも理解を深めていただければと思います。
「やきもの」のある空間 - 第1 回 -
作家作品編|陶板(toban) × アーティスト(淺井裕介氏)
10 年前、東日本大震災で、地震と津波により壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。この10 年で街やインフラの復旧が進み、学校では子どもたちの賑やかな声や笑顔が戻ってきました。そんな大槌町の高台に新設された、「大槌町立大槌学園(※)」の体育館エントランスにその作品はあります。
※大槌町立大槌学園
岩手県上閉伊郡大槌町にある公立の義務教育学校。2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災により被災し、使用できなくなった町立学校5 校が統合し、2016 年4 月1 日から「大槌学園」として開校。
2014 年1 月、株式会社髙島屋が「東日本大震災復興支援」としてイベントを主催。アーティストの淺井裕介氏(※)と大槌町の子どもたちによるワークショップを実施しました。そこで作られた作品は「メモリアルなものとして、次世代に残す」ために陶板に焼き付け、設置されました。
当時仮設で建てられていた大槌町の学校の一室に、90 ㎝角のパネル20 枚を敷き詰め制作開始。淺井氏と子どもたちで「未来」をテーマに、思い思いの絵を描きました。【写真1】2014 年1 月と2 月にそれぞれ1 週間ずつ、計2回のワークショップを経て、淺井氏が原画を完成させました。
完成した原画は、2014年3月から12月にかけ、日本橋髙島屋、京都髙島屋、大葉髙島屋(台湾・台北市)、玉川髙島屋S·C、そして大槌町に展示された後、しばらくの間倉庫で保管されていました。【写真2】
※淺井 裕介
絵かき。1981 年東京生まれ。1999 年神奈川県立上矢部高等学校美術陶芸コース卒業。
泥、マスキングテープ、ほこり、小麦粉など身の周りにある手近な素材を用い、描く場所を選ばず人物や動植物を描き出す。
▶http://urano.tokyo/artists/yusuke_asai/
企画当初は、この作品を陶板にするという計画はなかったそうですが、全国で巡回展をした際に、髙島屋社内から「後世に残すために陶板に出来ないか」との声が上がったことをきっかけに、弊社に依頼がありました。
信楽工場で製作された陶板には、淺井氏自ら大槌町の子どもたちへのメッセージとサインも入れてもらいました。【写真3】
こうして陶板に焼き付けられた作品は、ワークショップに参加した子どもたちの通う大槌学園に設置されました。今回は陶板設置から5 年、作品制作から7 年、震災から10 年を迎え、淺井氏や髙島屋、大槌学園の関係者らに、当時を振り返りながら改めて作品に対する想いを伺いました。
■実際に震災のあった場所で、“彼ら”と一緒に
―実際に現地(大槌町)を訪れて何を思われましたか。
淺井裕介氏(以下、淺井):
どんな状況にあっても必ず美しいものは世界にあると思っていて、どんな時でも日常に当たり前にある「楽しさ」「美しさ」を増幅させる装置というか、そういうものを表現したいなというのは行ってすぐに考えました。そのためには、結局自分たちも楽しむことが一番で、 まず僕が演技でなく一番楽しそうに描いている姿を見てもらう。そうして絵を描いて帰るのではなくて、普段絵を描いていない大人も子供も、先生たちも、皆が参加して、 大人が子供を楽しませに来ているという構図だけではないというものにしようと思いました。
―制作当時のことで印象に残っている事はありますか?
淺井:
例えば消極的な印象の子供たちでも非日常になる大きい絵を介して距離が縮まる時間が何度もあって、その度にアートっていうのが、自分にとっても、他の人にとっても、大事なコミュニケーションツールになるんだなって感じました。
普段と違う所で普段と違うことをして、皆良い顔をしていたんですよ。「 これ、東京で展示するんだよ。絵っていうのは自分の為に描くだけじゃなくて、みる人に受け取ってもらって楽しくなるような、うれしくなるような絵を描くんだよ」って言ってあげると、皆責任感が生まれたりして、緊張しながらも集中して描いてくれました。
―そういう点も、タイトルの「僕たちはいつも何かとつながっていて」に繋がりますね。
株式会社髙島屋 イベント企画担当者(以下、髙島屋):
子どもたちが楽しそうに関心持って生き生きと作業に参加してくれたっていうのは印象に残っていますね。
休み時間の度に、階段をドドドドドって上がってくる音がするんですよ。バーンと扉が開いて、ウワーっとやるっていう。被災してなかなか環境的にもまだまだ十分でなかったんですけど、その中で子どもたちが非常に元気にしていて、逆にこっちが元気付けられる感じはしましたね。
―作品に花などが沢山描かれていますが、ワークショップでは何かテーマを決めていたんですか?
淺井:
確か「どんな場所にも育つ植物」みたいなテーマを決めて描いたんじゃなかったかな。
植物って環境に合わせた形でしか育てないけど、だからこそどんな場所からでも芽を出して育つようにって。あとは自由に、瞬間瞬間に合わせて空間の成長を見守るようにして描きました。
■消すことから「残すことの大事さ」を考える
淺井氏は、その土地の土と水を使用し描く「泥絵」や、マスキングテープを使った作品などを多く制作されています。今回のワークショップで使った素材は、パネル、水彩絵の具、マスキングテープ、シール、ペン。どの素材も、陶板のように耐久性のあるものではありません。
―先生の作品は泥絵やマスキングテープが多いですよね。泥絵だと、「残らない」という印象があるんですけど、逆に陶板は残っていく。「残す」ということに対してはどう考えておられますか?
淺井:
僕は昔やきものをやっていて、火を通した後は消せないっていうのを知った上でスタートしているので、残すことの大事さっていうのはすごく考えていて。「作る=残す」、「モノが消えることはもったいない」っていう風に思われがちですけど、残すっていう事を本当に考えるためにも、一度消すっていう経験を皆が知った方が良いって思っていて。
モノって本当に消したくないって強い意志が残るモノにしていくと思うので、今回のように本来なら展示して朽ちていくような素材で作ったモノが、最初から計画されていなかったのに残るようになったっていうのは理想的だなぁって思いますね。
―そんな作品に関わらせていただいて本当に有難いです。でも、先生が折角作られた作品を消されたらやっぱり「もったいない」って思ってしまいます。
淺井:
「もったいない」って言われると、しめしめって。やはりもったいないって思われないものを作って消しても意味がないと思うので。
本当に消したくないものを作りそれを敢えて消すことで、「モノが残る」っていう事をより強く表現出来ればなぁと思いながら、より強度ある表現を求めて泣く泣く消しているんです。
とはいえそれも随分やってきたので最近では消すものもあるし、残すモノもあるって感じで。この作品はそのちょうど転換期頃ですね。だから陶板という 形で残ることは貴重でありがたかったです。
―陶板にしたことで作品の印象などは変わりましたか?
淺井:
一回り小さくすることで密度が上がり、やきものでこんなに綺麗に出来るんだなぁってびっくりしました。
素材も絵の具とマスキングテープとペンで描いたんですけど、陶板にするとテープとかの質感と絵の具の質感が合体して、ちょっと不思議な感じになっていますよね。
テープとかってそんなに長持ちしないですから、そういうチープなものが陶板になることで、価値が転換するっていうか、陶板ならではの価値がありますね。
■その一言がなかったら陶板になっていなかったかもしれない
制作当初は、この作品を陶板にするという案はなく巡回展示で終わるはずの企画でした。しかし、髙島屋社内から「このまま終わらせるのではなく、陶板に出来ないか」という声が上がったことから、インターネットで陶板の事を検索され、弊社まで辿り着いたそうです。ホームページをご覧いただき、「ここだったら間違いない」と思われたとのこと。
―この作品を「陶板にしよう」と思われた決め手を教えてください。
髙島屋:
原画は子供たちに害がないように水彩絵の具で作っているので耐久性が低いんですよね。だから(大槌町に納める事は)難しいと思っていたんですけど、陶板なら原画に近い形で残せますし、何十年も語り継げますから。
ただ、作品を陶板にするには経費もかかりますし、簡単には進まなかったんですけれども、やっぱりただ回って終わりでなく、最終的には大槌町に納めたかった。それで最終的に陶板にしようと決めたんです。
―子供たちは陶板を見て、感想など言っていましたか?
大槌学園学園長 松橋氏:
(設置された)当時はあの絵に関わっていた子たちも結構いたので、「嬉しい」と言っていましたよ。最近はあの絵を知らない子たちもどんどん入ってきていますけど、見る子は結構いますね。しょっちゅうではないですけど、何かの時に「あぁ~」って見上げる。
そうしてここを卒業して、親になって、子供がここに入った時に、「これはお父さんが描いたんだよ」とか、「お母さんが描いたんだよ」、孫が入れば「じいちゃんが、ばあちゃんが描いたんだ」って言って伝わる、長くあるって言うのはそういう事だなって思います。そういう意味ではすごいと思いますよ。子供から孫へ、ひ孫へと、関係者がずーっと伝えていけば、ずーっと繋がっていく。
■人はやがてその場を去れど 想いは陶板と共に
―この作品が今後、大槌町の子供たちにどのように受け継がれていく事を望まれますか?
淺井:
やっぱり何か楽しそうだなって感じが伝わってくれれば良いな。
アートって難しいだけのものじゃないし、その「楽しそうだな」っていうのを入り口にして、「これってどうやって描いたのかな」とか「ここは型枠っぽいけど中身はどこへ行ったんだろう」とか、読み解いていく楽しさとかをきっかけにして、失敗してもいいし、どんなやり方でももっとそういう自由にやれるかもしれないと考えてもらえるように気をつけながら描いています。【写真4】
髙島屋:
これを見ると表面的には2011 年(震災当時)を思い出すかもしれないけれど、その時皆で頑張って描いただとか、そういうことを実際参加された子たちが大きくなって、自分の子供たちや、周囲に伝えていただければというのは一番思いますね。元気や夢を思い出してくれれば。
―作品だけでなく、説明板も一緒に付けさせていただいて
良かったなと思います。
髙島屋:
制作風景や、展示している風景も一緒に載せているので、内容も分かって頂けて。当然、何年かすると当時関わっていない子どもたちだけになると思うんですけど、これを見てもらう事によって、この学校にはこういう歴史があるんだなっていうのを、分かってもらえますよね。
陶板は「やきもの」の特性である耐候性、耐久性を誇り、いつまでも色褪せずその姿を保ちます。100 年後、1000 年後、人はやがてその場を去れども、陶板はカタチとして想いを伝え続けます。そこに居る人が代わっても、想いは受け継がれていきます。
■陶板(toban)と描く未来
最後に、淺井氏、髙島屋の担当者様に、私たち大塚オーミに今後期待することをお聞きしました。
淺井:
今、各地域で芸術祭みたいなものが増えて来ているんですけど、カタチに残らないものが多いんですよね。でもその芸術祭とかで作られる作品の中から、地域性か何かが一致した時に、その街で残すべきものって見つかってくるはずなんです。
大槌で作ったモノが大槌に残ったように、はじめから残されるべくして作られたものじゃなくて、残りづらい素材で作られたものとかが残っているっていうのは、それだけ豊かさと繋がっていると思うんですね。 古墳みたいな、壊れてしまいそうなんだけど誰かが守るべきものとか、目立たないけど良いもの、みたいな作品を作る側や主催者だけでなくて、皆で見つけ出していける感受性を育てることが大事だと思います。
そしてその時にこの陶板の技術ってより重要になってくるんだろうなって思います。
髙島屋:
大塚国際美術館、あれだけの名画が身近な形で、陶板になって触れることが出来るっていうのはやっぱり凄いなと思いますし、美術をそんなに知らない方でも、それを機に美術への造詣が深まるのかなぁって思います。
陶板にすることによって、本当の作品ではなかなか難しい場所でも展示が出来て、もっと親しみやすくなりますし、社会に対してアートを広めやすくなると思うんです。これからもそういうアートや文化の発信を続けていただけたらと思いますね。
■おわりに
「作品を残したい」「未来へ伝えたい」という想いから、私たち、大塚オーミ陶業の陶板を選んでいただけたことをとても嬉しく思いました。
作家がどんな想いを込めた作品なのか。作品が作られるまでの背景、関係者の想い。「陶板」は未来へ残り続けるものだからこそ、私たちにはそれらと深く向き合う責任があると感じています。これからも、一人ひとりの想いに真摯に応え、作品と誠実に向き合う姿勢を大切にしたものづくりを続けていきます。