第2回 しごと
■ つくる者にとって特別な仕事
これまで五十嵐氏は、弊社で多くの作品を制作されてきました。どの作品にもそれぞれに思い入れがあり、どれも好きだと語る五十嵐氏が、“特別な仕事” であったと振り返る、ふたつの作品があります。
JR タワーパセオ(北海道札幌市)に設置した「テルミヌスの森」と、赤坂K タワー(東京都港区)に設置した「The mother earth」について伺いました。
- 今まで弊社で制作されてきて、特に好きな作品や印象に残っている作品はどれですか。
作品は、似たような作品ではあっても、それぞれ設置される場所も違うし、それぞれに思い入れもあってみんな好きなんですけど…ただ、つくる者にとって極めて理想的というか、特別な仕事がありますね。ひとつは、JR タワーパセオに設置されたテルミヌスの森。あの作品。
それまでつくってきた水平の作品が縦になって、今までの方針を変えることになった。迷った結果それしかないだろうなと思って選んだんです。素焼きでつくる、土に顔料を混ぜて色を表現する、釉薬は使わない…そういう特別なことができたので、ちょっと忘れられない。
あぁ、これは素晴らしいことだなあ、と。
アートが設置される広場など、全てデザインできた(※1)。そういった点でも特別だった。
(※ 1 弊社で制作されたのは彫刻「テルミヌスの森」のみ)
あれもJRタワーパセオの時と同様に顔料を混ぜてつくった色土で、備長炭の色にしたいなっていう思いがあって、黒の顔料を混ぜた色土をつくってもらったんだけど、それだけでは炭のような色は表現できなくて。そこで、更に表面に黒の釉薬をうすくかけたらその風合いが出せた。
-備長炭!まさにそんな感じでしたね。
あと、Kタワーのアートはこれまでのように壁面に設置するものではなくて、オーミで制作した初めての大きい自立した作品だったので印象深い。
この広場も設置したアートの周辺を自分でデザインしました。
-すごく不思議に思うのですが、この作品は、昼間に見るとここから生まれたのかなぁと感じて、大地のようなイメージを受けるのですが…
それは嬉しいね。
- ライトアップの効果もあるかとは思うのですが、夜になると急に神殿のような印象を受けて、作品から感じる雰囲気のギャップがすごくあるなと思います。私はこの作品が、特に好きです。
あの仕事はね、建物の中にも繋がっていて、地下にも伸びてるんですよ、実は。
ランドスケープの人たちは“水景”って言うんだけれども、その“水景”としては外の広場で完結しているんですが、作品の前にある3つの噴水は、母なる大地からボコボコ湧き出る水なんですね。その湧き出た水が流れ出して建物の中に入っていくというコンセプトなんですよ。水がひたひたと繋がっていくイメージで、床がストライプになっている。そして、建物の風除室に白いストライプが施されている。水が風除室のガラス面を覆って、エスカレーターの先の上の階に伸びて行くんですね。そこで今度は水蒸気に変わって…
その象徴が右側にあるガラスのパイプの壁なんです。大地から水蒸気になって水が昇っていく。それに光があたったものが、ガラスのシャンデリア(※2)。
そして、その真下にね、ステンレスのパイプの壁でできた車止めがあって、水が上の階に上がって水蒸気になり、それが地下の階まで落ちていくイメージだったんです。当初は1階の床に穴をあける予定で、地下の駐車場の階がのぞけるようになっていたのでね。
結局は、1階に穴をあける計画はなくなってしまったのですが、ストーリーはそういうことです。
1階のエントランスホールにはカフェも出来る予定で、そこは雲のイメージになっていて…それもなしになっちゃったけどね。
-すごく考えてつくられているのですね。作品が設置される場所というのは、五十嵐先生にとって大切なことなのですね。
うん、すごく大切。いつも建築の空間や環境と作品という、そういった視点からつくっているのでとても大切ですね。
(※2 他作家の作品)
■ 大塚オーミ陶業での制作環境
アイディアはいくらでも転がっていると言う五十嵐氏との制作現場には、「次はこうしたい」「こんなことは出来ますか?」という言葉が常に飛び交っています。「五十嵐氏が信楽工場に制作に来られるたびに、新鮮で楽しいことが起こる」と、初仕事以来、氏の制作をアシストする弊社のスタッフは言います。
大塚オーミ陶業での制作環境について伺いました。
- 先生のアイディアに対して、弊社はお応えできていますか。制作環境についても何かあればお聞かせ下さい。
いやぁ、素晴らしいね。僕は恵まれたから。最初は小松君(弊社企画部部長)も手伝ってくれたり、それにずっとアシスタントをしてくれている岸上君(五十嵐氏担当の弊社従業員)。彼なんかはもう、何年目からかはわからないけど、僕が何をしようとしているのか読めるのね。自分も作家だから。
僕が道具を取りに向かったら、どれを手に取るか、多分、分かってるんじゃないかと思うんです(笑)
- ええ!そうなんですね!
もう、対応がすごい。何にもしゃべんなくていいですから。僕はもうただ、一生懸命つくるだけで良くて、そこに必要な事とか状況を彼が瞬時に用意してくれるんです。まったく無駄がない。そこが、すごい。吉川さん(弊社大阪支店長)もしょっちゅう来て手伝ってくれてね。本当に恵まれた環境だと思います。
- ありがとうございます。アシスタントがいるのといないのでは、集中力の面でも全然ちがいますよね。
とにかく大きいものをやっているから僕の力では動かせないし、僕が他の色んな作業をやっていたら本当に疲れきっちゃうんだろうけど、それを次々と先を読んで助けてくれるから。
- 15年間培ってきた経験というものでしょうか。
それもあるでしょうね。僕は時々公開制作もやりますし、色んな人が制作を見に訪ねてきますけど、みんな僕たちの連携にびっくりしますね。(笑)
釉薬にしても、ものすごい量の焼き上がりの色サンプルが蓄積されているし、とにかく困ることが何にもない。
- ありがとうございます。そう言っていただけると、とても嬉しいです。
==============================================
五十嵐氏が制作に専念できるよう、粘土の切り出しなどの準備から、彫塑後の裏グリ(※3)、乾燥、施釉、焼成、施工に至るまでの作業を弊社のスタッフの手で行います。
「五十嵐氏の満足した顔が見たい。」と、スタッフ全員が総力を上げて取組みます。
失敗の許されない作業。慎重に扱い、作品が安全に美しく空間へ設置されるまでの全てをサポートします。
(※3 陶芸用語。裏側から土を彫り出し、厚みを調整する作業)
==============================================
■ ものづくりについて
デザインとアート、その違いをどう捉えるのか。作品は五十嵐氏にとってどのような存在なのか。
世界的なデザイナーとして活躍された後、彫刻家に転身された五十嵐氏の、ものづくりに対する考え方を伺いました。
- 赤坂Kタワーのお話で、建物の中までコンセプトを考えてつくられているとお聞きしましたが、コンセプトというとデザインに寄っているように思います。デザインとアート、先生の中で区別はあるのでしょうか。
デザインってもう必ず100%と言っていいくらい、説明できなきゃダメなんですよ。
- …そうですね。(笑)身にしみて感じます。
なぜこれなのか、どうしてこれが良いのか、ね?だから、コンセプトを用意する。用意しなくてもいいものまで用意しなくちゃいけない。必ず、説明が求められるっていうのがデザイン。
アートは、説明しなくていいんだよ。好きだったらいいわけだし、そのことを説明する必要は、基本的にはない。
ただ、Kタワーの仕事はテラコッタ(土)のモニュメントだけだったら「これはアートです。」で、それ以上はないんだけど、噴水をつくることが条件、庭のベンチをデザインするのも条件、そして1階のエントランスホールも提案して欲しいとなると、これはもうデザインだから。こうなると、やっぱりコンセプトから始まって説明を組み立てなきゃいけない。そういう状況があったからやっただけのこと。それがなければ説明はあまりしない。
- パブリックアートとなると“アート”とは言ってもみんなのためのものだと感じますが、私は基本的には、アートは自分のため、デザインは人のためと、分けて考えています。先生は、どう捉えられていますか。
デザインとアートは違うんだけど、すごく近いというか、そういう世界もあって線引きはなかなか明確にできないよね。分けられるものもあるけど、はっきりとは分けられないという感じ。
事実、今の現代アーティストがやっていることはデザインだよね。全部デザインって言ってもいいくらい。彼らはコンセプトを考えて、理屈を考えてものをつくっている。
- デジタルが介入した時点でどうしてもデザインに寄ってしまいますよね。
うん、それもあるね。
- 考えずにものをつくるいうことは、とても難しく感じますね。
そう、だから僕は子どもを尊敬しているわけ。
子どもはコンセプトなんて考えない。
考えないでも、いきいきとした素晴らしいものをつくり出すでしょ?僕は、それがアートなんじゃないかな、と思う。
- 先生にとってものづくりとはなんですか?また、作品はどういった存在ですか?
作品をつくらないっていうのは自分がいないのと同じだからね。生涯現役でいたい。
作品は自分の人生そのもの。つくるということは、“楽しみ”だから。
パブリックアートはみんなのものだという話があったけど、人のために、とは思ってはいても、結局は自分の楽しみのためにつくっている。人のためが自分のために繋がってしまう。
昔と今とで何が一番違うかっていうと、昔(デザイナー時代)はね、四六時中考えていた。デザインの仕事は人のためで、それは、ある意味プレッシャーだよね。
それが今では、変わってきている。
デザイナー時代は、人が何をつくるか気になったし、有名になりたいという欲が、やっぱりあった。でも、今はそんな欲が全然ない。
人が何つくっているかってあんまり興味ない。(笑)これは歳をとったせいなのか何なのか…。
アートって自由だから。今は、つくるということは、やっぱり“楽しみ”でしかないよね。
■ デザイナー時代の仕事1
五十嵐氏は、毎月異なるアイデアで全てが異なるかたちの数字をデザインするプロジェクトで、1984年〜1991年までの7年間、84種類のアイデアで4356個の立体文字を描いた。
一部を除いて、ほとんど全ての下書きを烏口で仕上げたもの。
■ デザイナー時代の仕事2
1986年、五十嵐氏がサントリーホールの開館に合わせデザインした「響」のロゴが、1990年に企業のロゴに格上げされた。現在はふたたびサントリーホールのロゴに戻り生き続けてる。
■ デザイナー時代の仕事3
スポーツシューズで人気のナイキが180というランニングシューズの発売にあたって、数人のデザイナーに180をテーマとした作品を依頼した。五十嵐氏が制作したこの彫刻は、様々なメディアで広告のビジュアルとして使われた。
※当レポート内の画像及びその他内容の無断転載・転用を禁じます。
==============================================
▶▶ 01であい を読む
▶▶ 03むかし いま みらい を読む