まえがき
「えっ!?もう、30年になるんですか?おたくと仕事して」インタビューのはじめ、多田先生は驚いた様子でおっしゃいました。
女子美術大学を卒業。その後、団体には所属せず独自の世界を開き、数々の大きな賞という賞を得た昭和と平成の彫刻界を代表する作家。それが多田美波先生です。
「パブリックアート」という言葉が定着する以前から、時代に先駆け、公共空間への芸術作品提示を展開してこられました。皇居宮殿をはじめとして、ホテル、駅、庁舎、など、膨大な数の作品は、様々な手法により制作されており、一度は目にし、記憶にあることでしょう。
「空間へ芸術作品を展開する」とはどういう事なのでしょうか。それらの作品にはどのようなバックグラウンドがあり、つくられているのでしょうか。
多田美波先生の、大塚オーミ陶業でのはじめての仕事から30年。その真剣で熱心な制作活動は、今も変わりません。新作を含む作品の紹介やインタビューを通し、多田先生の「軌跡」や「今」、そして「これから」を1人でも多くの方にお伝えできればうれしく思います。
「瑞光」をつくる
陶板作品「瑞光」
2013年、春の兆しを感じられる4月、彫刻家・多田美波先生の陶板作品が完成しました。長崎新聞など、各社に取り上げられ、話題を呼んでいます。
「瑞光」 多田美波 2013 H4.3m×W9m
およそ、H2m15㎝、W60㎝の大きさの陶板、30枚を組合せてつくられている。
レリーフと色彩表現を合わせもつ陶板作品。
『 「大きな空と、人間の希望や努力」を表現した作品。
気持ちや希望が沸き上がり、発展してゆく姿を表している 』(作家談)
紺碧の穏やかな海、南国の明るい日差し、ゆったりとした自然に囲まれた長崎の大島に、とても素敵な「オリーブベイホテル」が誕生しました。そのホテルのロビーを爽やかに彩り、訪れた方々を明るくお迎えするのが、陶板作品「瑞光」です。
作品の向かい側にはガラス面が広がり、煌めく陽光が降り注ぐだけでなく、長崎、大島の山や海が一望できる、開放的なロビー空間が広がっています。
「瑞光」は、訪れた方々を優しく、また、期待感を高揚させるようにホテルの中へ導き、くつろぎのひと時に華を添える存在です。
瑞光とは、吉事の前兆の光、おめでたいと見なされる光のこと。ホテルを訪れる方々の幸せや、旅の安全を願うだけでなく、オープンしたオリーブベイホテルの前途多幸を思わせます。
光、水、緑に包まれたこの空間で、ぜひ、作品を楽しみたいものです。
原画は油絵
陶板作品「瑞光」を制作するにあたり、多田先生は、まず、原画の制作からスタートしました。大学在学以来、久しぶりに絵筆を持ち、油絵で原画を描かれました。
先生は、今回の作品のために準備した陶板の色サンプルとにらめっこしながら、陶板にふさわしく 、陶板で美しく仕上がる色を十分に吟味されました。色には、かなり苦心された様子。それでも、「久々に油絵を描いてとっても楽しかった」と原画制作を嬉しそうに振り返りました。
製作方法の決定と準備
多田先生の陶板作品で、油絵での原画制作は、先生ご自身にとっても 私たちにとっても初めての経験でした。今までの作品とは違い、原画が油絵だと知った時、「えっ…!?油絵?」と、私たちも驚きを隠せませんでした。
今までの作品では、陶板1枚ごとに色が決められていたり、はっきりと区切られた面で色分けされた構成の作品がほとんどでした。また、多田先生の陶板作品のポイントの1つとして、ラスター釉(やきものの表面にかける うわぐすりの1種で、真珠のような虹色の光彩を発色する釉薬)の美しさを活かした色彩表現があげられます。
今まで製作してきた陶板のように、ラスター釉の美しさを活かした作品にするにはどうすれば良いか、戸惑いもありました。
私たちは、原画の特徴を考慮し、原画の雰囲気を壊さないことを何より第一に掲げました。私たちと同様、多田先生にも作品の仕上がりに心配があったようです。「原画通りの色では、少し強すぎると思うので、少し色のトーンを落とした方がよいですね」と多田先生。その言葉に留意し、試作品に反映させます。
私たちは、先生のイメージに応える陶板を製作するため、色試作品や実寸大の部分試作品を数枚製作し、多田美波研究所に送り意見交換をし、又色試作品を作るという工程を繰り返しました。
そして、油彩の表情を大型化して表現するために、私たちの得意とする技法である転写紙(原画を撮影した写真を元につくった画像をやきもの用の顔料を使用し、印刷工法でシール状にしたもの)の採用を、多田先生の作品では初めて決めたのでした。
「瑞光」は、縦4.3m 横9mにも及ぶ大作で、レリーフと色彩表現をあわせ持つ陶板作品です。多田先生は、油絵で描いた原画の他に、レリーフのマケットも制作されました。
陶板作品「瑞光」の製作開始
「瑞光」の陶板製作の流れは、レリーフをほどこした陶板素地に釉薬をかけ焼き固め、その後、陶板素地の上に転写紙を貼り付け、焼成します。最終の仕上げとして、色彩を補うため手作業で着彩をおこない、再度焼成。ラスター釉を重ね、更に焼き付ける、というものです。
まずはレリーフの彫刻から進めます。要求されたレリーフの厚みは、最大15㎜。15㎜の中でいかに彫刻をほどこすかが重要でした。多田先生の作品の彫刻には、精度が求められます。これも多田作品のポイントです。
隣り合う陶板の接合面でひずみが生じないように注意し、緩やかな曲面をなめらかに描くよう、広い面積を丁寧に彫刻していきます。
レリーフの彫刻と並行して、引きつづき色彩表現も検討します。最終の仕上げの着彩を想定し、転写紙の色調を何度か調整しました。
多田先生、信楽工場へ
レリーフ状態の進捗に合わせ、2012年11月、1回目の検品が行われました。多田先生と多田美波研究所のスタッフの皆さんは、東京から信楽まで、片道8時間かけ車で信楽へ来られました。
多田先生は、検品中に疲れた様子を少しも見せず、作品の進捗を静かに確認されていました。陶板作品として最高の仕上がりを求められていたのでしょう。
レリーフの状態を見て、わずかな曲面の違和感に指示を出し、線の歪みも細かくチェックされます。また、実寸大の部分試作にも目を通し、色彩表現には好評価を頂きました。
検品後、「元気になったわ!」と多田先生。作品が出来あがって行く姿を自分の目で確認する事は、多田先生にとって、エネルギーを得るための、とっておきの秘訣なのかもしれません。
先生の言葉で、私たちの方が元気をもらい、さらに多田先生から勇気も与えて頂きました。これで私たちは自信をもって次の工程へ進む事ができます。
さらに、「ちょっと遠かったけど、信楽へ来て良かった。また来るわ」とおっしゃって下さいました。私たちは、次回の検品でも納得行く陶板が見せられるよう、最善を尽くそうと、改めて気を引き締めたのでした。
先の検品で提示した実寸大の部分試作は、色調とライティングの確認のため、多田美波研究所に持ち込まれました。作品上部から投光される光のあたり具合、レリーフに陰が出来ないかなど投光器具を何度も変えて難しいテストを繰り返されました。
その結果、ラスター釉から光の反射が強く表れることが解り、ラスター釉の使用量を抑えることになりました。指摘のあったレリーフ面の違和感は、決められたアールで形状を修正しました。その後、表面の凹凸を無くすため、微細なピンホールも全て埋め、表面を滑らかな状態に仕上げました。ラスター釉の美しさを活かすには、色調だけでなく、陶板自体の表面状態も大変重要なのです。
表面を整えられた陶板に、釉薬をかけ、焼成しました。
次に、焼成された大型陶板へ、色付けの作業に入ります。起伏のある表面に、準備していた転写紙を注意して貼付けます。再度焼成し転写紙を焼付け、仕上げの着彩を行いました。
着彩は、エアブラシを使って特殊な絵具を霧状に噴射し、美しいぼかしや色付けを心掛けました。そして更に焼成。
最後に、陶板表面に輝きを与えるため、ラスター釉を全体をおおうように施釉し、焼付けました。
先生は陶板に対する知識も豊富で、問題点に対する返答は早く、的確でした。また、試作の段階から幾度も互いに意見を交わし、ようやくここまで製作が進んで行きました。
今までの作品をつくるために提出した色サンプルの総数は、相当な量を数えます。「多田先生は、制作に対して本当に厳しかった。色彩に、決して妥協をしなかった」今までを振り返る職人は、そう言いました。
多田先生は、みずから彫刻の指導をするなど、レリーフに対しても細かく指示を頂いていましたが、30年という長いお付き合いの中で仕事に携わる者を信頼し、今では、色や彫刻等、作品制作の多くの部分で意志の疎通が出来るようになりました。
陶板の最終検品
2013年1月、いよいよ最終検品。信楽の冬の寒さが厳しさを増す中、多田先生と研究所のスタッフの皆さんは、信楽までいらっしゃいました。
全長、縦4.3m 横9m。作品を構成する、焼き上げられた30枚全ての陶板を、仮設の壁に仮組みし、陶板を検品して頂きます。「大きい…。すごい迫力だな…!」壁に取付けられた状態の陶板を、初めて見た職人たちは、思わず口ずさみました。
私たちは、朝から検品場所をヒーターで暖めるなど、ソワソワと準備をしながら多田先生の到着を待ちました。
多田先生が来場され、検品が始まりました。先生の最初の見極めは、ホテル玄関からの作品の眺めでした。「瑞光」について、オリーブベイホテルに到着した方々が最初に目にするメインの作品として、考えておられたのでしょう。仮組みした陶板の前を、おちゃめに手で目を隠しながら通り過ぎ、ホテル玄関とされる場所まで移動し、初めてご自分の目で確認されたのでした。
私たちの緊張もピークに達していました。今、思い返すと、多田先生の最初の一言を聞くまで、随分ながい時間があったように感じます。
「どうも ありがとう」と、多田先生からの言葉。やって本当に良かったと思える嬉しい瞬間。みんなの顔には、笑顔が満ちあふれていました。
「原画より きれいな色が出ましたね」と、笑っておっしゃってくださいました。
その後、多田先生は、陶板に近づいて表面状態に目を凝らしたり、指先で感触を確かめたり、隅々まで作品を見回しました。
実際に目線の高さでの作品の見え方を確認し、また、図面で位置を照合しながら、ロビー空間に設置された作品の情景を、何度も頭に描かれているようでした。加えてライティングの確認もおこないました。
最後に取付工事の日程確認を済ませ、多田先生と研究所の皆さんは、笑顔で帰路に着かれました。
取付け工事
2013年2月19日。取付け工事が始まりました。2台の4tトラックに分かれて、滋賀県から長崎まで、はるばるやってきた陶板は、1枚ずつホテルの外から手運びで、取付け場所まで搬入されました。
陶板の周囲には、指定されたサイズの石の貼付けが決められていたので、取付け壁面には遊びが少なく、30枚の陶板の取付けには、狂いのない精度の高い作業が必須でした。陶板位置のずれが少しでも生じ、石が貼付けられない事になれば、壁面全体が収まらない事態を招きます。
また、地震が発生して揺れが起こった時、陶板同士がぶつかり、欠けが発生するのを防ぐために、陶板と陶板は密着させず、紙がやっと挟まる程度の目地の調整が不可欠です。
このように緻密な調整が必要な建築空間への取付けには、陶板の精度の良さが発揮されます。
やっとできあがった作品です。欠けが発生しないよう丁寧に、絵柄がずれないよう美しく、安全に十分注意を払い、作業にかからなければなりません。
作品の取付は現場の最終工事になります。多田美波研究所の現場調整後、弊社の工事担当者と、職人さん達は慎重に工事を進めました。作品廻りの石の貼り付け工事とからみ、限られた時間の中で深夜におよぶ工事となりました。
壁面にはまず、陶板を取付けるための金具をセットしました。
次に陶板です。作品を構成する上下2段のうち、上段の、真ん中に位置する陶板から取付けます。石貼り担当の職人さん立会のもと、陶板の取付け基準を決定しました。
最初の1枚を取付けるため、確認に十分な時間を費やしました。
30枚全ての陶板を無事に取付け、2月20日の夜、2日間の工事を終える事ができました。
こうしてついに、オリーブベイホテルのロビー壁面へ、多田美波作、陶板作品「瑞光」が収まったのです。
協力:多田美波研究所
多田美波研究所Webサイト
http://www.tada-ken.co.jp/
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