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中之島フェスティバルタワー レリーフ製作プロジェクト「牧神、音楽を楽しむの図」

第Ⅶ回|完成

2012/04/04

2012年3月19日、ついに新しい「牧神、音楽を楽しむの図」のレリーフが中之島フェスティバルタワー外壁面にお目見えしました。

これまでレリーフ製作レポートとして、第1回〜第6回まで連載してきましたが、最終回は、監修者の建畠朔弥氏、鷹尾俊一氏へのインタビュー対談で締めくくりたいと思います。

彫刻家として活躍されている両氏には、本プロジェクト開始から約3年間、当社信楽工場まで何度も足を運んでいただき、共に汗を流していただきました。

レリーフ取り付け完了前の2012年2月27日、両氏を訪問し、今一度、長かったような短かったような3年間を振り返っての感想、レリーフ再制作への思いを伺いました。

  • 中之島フェスティバルタワー壁面に取り付いた「牧神(鳥)」 




2012.02.27
監修者インタビュー対談
「時間と空間」100年建築とアートワークの在り方

建畠朔弥氏、鷹尾俊一氏  / 聞き手:小松純(大塚オーミ陶業株式会社)

 

―  制作を振り返って  ―

 

1958年、建畠朔弥氏の父、建畠覚造氏が所属していた行動美術協会によって「牧神、音楽を楽しむの図」が制作され、当時の新朝日ビルに設置されました。

  • フェスティバルホール(新朝日ビル) 

「牧神、音楽を楽しむの図」は、フェスティバルホールと共に50年間愛されてきましたが、先人の企画者の意識は、100年の思想を作品に反映していたと感じ取れました。

今回、このレリーフを再製作するという大きな仕事をいただいた当社としては、その100年の思想を受けて、これからの100年先もレリーフを保たさなければならないという意気込みで臨んできました。

本プロジェクトの開始に際し、旧レリーフ制作当時の資料を調査していましたが、皆無に等しい状態でした。かろうじて残っていた竹中工務店さんの数十秒の工事ビデオ、当時の写真数枚と現物の切り出し品を目の前にして、監修の先生方と本製作の在り様を検討する中、「新解釈」「シルエット彫刻」「建築のアクセサリー」という印象的な言葉が飛び出してきました。それらについて今、改めて真意を伺いました。

 

 

■新たな解釈のものをつくる

 

—今回のレリーフ製作に対し、なぜ「新解釈」という言葉を使われたのですか。

建畠▼
「新解釈」という言葉を使ったのは、ひとつは、レリーフを取り付ける壁面のスペースが広くなったこと。と、いうことは、自ずとレリーフ自体も拡大することになるだろうと予想された。もうひとつはつくり方を変えたこと。技術的にも進歩しているし、彫刻へのアプローチの仕方も変わった。
「新解釈」は、こういった具体的なところから出てきて、良いとか悪いではなく必然的にその条件がそろってしまったんですよ。
でも、そうやって拡大したり、つくり方を変えたりしたとは言え、今回製作したレリーフが以前のレリーフと全く違ったものかというと、そういうわけではない。
なぜなら解釈しているから。そこには解釈がある。
最初、僕には、「新しい感覚でつくりたい」なんていう思いはなく、できるだけ以前のレリーフの印象を再現したいということを思っていた。最初はね。だから、「新解釈」もへったくれもなかったんだけど、結果的にそうなってしまった。そうしなければならなかった。

鷹尾▼
全くそのとおりだと思いますよ。厳密な意味で言えば、あれほど激しいテクスチャのあるレリーフ彫刻をそのとおりに映し替えるというのは、まず不可能でしょう。
太刀のひとつひとつまで寸分違わずつくることができるなら、それは「リメイク」あるいは「コピー」ということになるのでしょうけど、まずそれは不可能ですからね。

建畠▼
以前、長崎で、昔にネオダダが制作した作品を、その写真をもとに作家たちがリメイクするというプロジェクトがあったが、そういったものは「リメイク」ということで厳密な忠実性が求められる。
今回の再製作はそれとは違うからね。なんせ大きくして、つくり方まで変えちゃってるんだから。

 

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レリーフが取り付いた中之島フェスティバルタワーの外壁は、約22万個のレンガブロックを職人が一つ一つ手積みするという方法がとられており、近年の超高層建築では例を見ないつくりとなっています。“手づくりの超高層”と呼ばれながらも、高い耐震性を備え、最新の技術を駆使した建築。建築とレリーフの関わりについても語られました。



■レリーフが建築に参加している

 

— 建築との関わりという点ではどうですか。「シルエット彫刻」や「建築のアクセサリー」という言葉もありましたが。

建畠▼
シルエットの意味は2つあってね。要するに遠目で見たらディテールなんて見えてこない。全体の形、シルエットのダイナミズムというものがでてくる。それで「シルエット彫刻」と言っていた。だから、「シルエット彫刻」という点では、前のレリーフも「シルエット彫刻」なんですよ。
しかし、今回は壁面から浮いてついていることで、影が出てくる。それが、レリーフのシルエットをより強調しているだろうと思うんだよね。ある意味では、“おしゃれ”。
時代の一番新しい方法が加味されたことによって、シルエットが「形状」と「影」のふたつの意味を持った。今回のレリーフは、現代の工法に大きな影響を受けていると言えると思う。

  • 建畠朔弥氏 

鷹尾▼
だって、浮いたわけだから。空間に。レリーフが10㎝と言えども空間に浮いてきたんです。彫刻としての自立性が高くなったということですよね。
建築の壁に付随したものということではなく、壁から浮いたということは、光が形の裏側に多少でもまわりこんでいくわけですから、視覚的に相当違いがでてきているんじゃないかな。そういう期待があるってことです。

 

—新しいということで言えば、弊社でも40㎝前後の厚みのレリーフというものは、初体験でした。

鷹尾▼
そうだよね。しかも、それが10㎝壁から浮いて取り付いているわけですよ。と、いうことは、前のレリーフに比べたら、ほぼ倍近く手前に出てきちゃっているってこと。
相当な事実性というか存在感というか、そういうものが出たのかなって、期待があるわけです。

 

—目地についてはどうですか。

建畠▼
目地の部分はね、埋まっているわけじゃないから、光は入り込むんだけど、それよりも壁からレリーフがある一定の距離をもって、置かれている。これは、意図的だからね。それによって塊としてレリーフの一体感が強調されるから目地はもう関係ない。このレリーフは、ビル全体の造形上の本当にいいアクセントとなると思いますよ。

鷹尾
▼前のレリーフは、建築に付随して、建築を母体として彫刻がある、という感じなんですよ。これは、彫刻家の欲目かもしれないけど、今回のレリーフは、建築と同等のレベルとしてそこに彫刻がある、そういう風になっていれば、おもしろいなあって思いますよ。

建畠▼
いや、僕はそうはならないと思うな。つまりね、付随するかどうかっていうのは大した問題じゃなくて。もともと建築というものがあって、レリーフがそれにどういう風に関わるかっていうことが、あるわけですよ。その関わり方が、非常に現代的だってこと。レリーフが建築に参加しているといった感じがするんだよね。建築もレリーフも、“手づくり”という要素と“新しい技術”という要素を含んだ新しい工法をとった。だから、一体感が生まれる。僕は、今回のレリーフに自立性はあるけど、独自性っていうのはそんなにないと考えていて。だって、以前のも今回のも、あのレリーフが中之島のシンボルであるというのは変わらない。シンボルとしての在り方は全く同じだからね。

 

—色彩の面ではどうでしょうか。以前は白いタイル壁面に青のレリーフ、今回はベージュ色のアースカラーのレンガブロックに青のレリーフということで、どんな印象を持たれていますか。

建畠▼
あれが真っ白の壁面でしかも10㎝浮かせてついているとなるとコントラストは激しすぎたかもしれないけど、ベージュ色のレンガブロックということで、非常にきれいなコントラストを生んでいる。
だから、“おしゃれ”だって言ってんだよ。やっぱり「建築のアクセサリー」だね。



■“手作りの超高層”への彫刻設置

 

建畠▼
まあしかし、あの壁面のレンガブロックはすごいよね。手積みでつけちゃうんだもんね。そういう手工芸的なところ、手技の部分と、現代の技術がピタっとはまるとああいうもの(建築)になるんだね。外から離れて見る限りにおいては、それは伝わらないけど。

 

—実際、レンガタイルと誤解している人が多いようですから。誰もまさか大きなレンガブロックを手積みで積んでいるなんて、思わないですからね。
我々としてはそのハンドメイドの壁面になんとしても取り付けるということを考えて、考えて、考えた上で、あの工法が導きだされてきたわけでして。物理的に安全性が高い。耐震性能的にも強く、雨にも風にも負けず、そういうことを想定して取り付けました。

 

鷹尾▼
そういう風に考えると、あれは、相当贅沢な建物ですよ。壁面にしてもレリーフにしても、全てが手づくりなんですもんね。

 

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父である建畠覚造氏が制作したレリーフの再製作を監修することになった朔弥氏。また、朔弥氏から声をかけられ、共に携わることになった鷹尾俊一氏。

レリーフの再製作に対するおふたりの意気込み、思いを伺いました。

  • 行動美術協会による旧レリーフ「太陽」の制作風景 (一番左のベレー帽をかぶっているのが建畠覚造氏) 



■レリーフ再製作への思い

 

建畠▼
意気込みっていうのは、最初はあっただろうけどね、やっぱりレリーフの制作に取りかかって、時が経っていくとそんなものは関係なくなってくる。意気込みとか勢いとか抽象的なものではなく、「荒々しさ」「ボリューム感」「テクスチャ」など、以前のレリーフから抽出された要素が彫刻的な用語に置き換わり、具体的になっていくんですよね。

鷹尾▼
最初は建畠覚造先生がやったものだということで意識はしていたんだけど、やっぱり最終的には、僕の仕事、朔弥さんの仕事ってことになっちゃうわけですよ。あくまでも前のレリーフはきっかけでしかない。

建畠▼
そうなんだけど、でも僕の仕事、鷹尾さんの仕事っていうのでもないよね。当時の荒々しさとか何か新しいものに向かっていく勢いっていうのは、技術的、彫刻的な面に置き換わっちゃうんですよ。

  • 鷹尾俊一氏 

鷹尾▼
だからね、うまく言えないけど、そこにあったものをもう一度つくらなければならないってことは解釈っていうのが絶対に入ってくるわけですよね。最初にあのレリーフをつくった人たちは、勢いとか感覚とか感動とか、そういうものでつくれたかもしれない。でも今回の僕らの立場で言えば、新たな解釈のものをつくるということにならざるをえなかったんですよ。だから、そういう意味で僕は、「僕の仕事」という言い方をしたんですけどね。覚造先生がつくられたこの原型っていうのは、あくまでも僕の仕事のきっかけでしかないんだ、っていうことになるんです。

建畠▼
あの頃の時代の勢いっていうのを技術に置き換えたんだよ。

 

―「技術に置き換える」というのは、どういうことでしょうか。

鷹尾▼
僕らは過去のレリーフに対して、ここはこのような形につくってあるということを理解することから出発していかなければならい。最初につくった人たちは、覚造先生がつくった原型があったとはいえ、僕らよりその感覚は薄かったと思う。僕らは過去のレリーフを一度目で見て、言葉として理解している。それを造形という言語にもう一度置き換えていかなければならないっていうこと。解釈とか技法とかそういうところに足をふみこんでいかないと、今回のレリーフはできてこないわけですよ。そういう意味なんじゃないでしょうかね。

建畠▼
造形処理ですよ。一言で言えば。

鷹尾▼
僕は、レリーフ製作を監修するって話が来たとき、最初から監修は無理だって思っていたんですよ。今、初めて言いますけど。これは、制作しかない、そう思っていた。アウトラインを合わせるっていうのは簡単だけど、立体ですからね。高さ方向にも形があるわけです。監修という言葉の範囲内では済まない。僕の直感では、自分が行ってつくらなければならない。そう覚悟は決めていたんです。

建畠▼
親父はね、レリーフが上手かったですよ。色んなものから学んだらしいからね、それがこのレリーフにもいきている。

  • 旧マケットについて語る建畠氏 

鷹尾▼
だから、この覚造先生の最初のレリーフ、これをちょっと見るだけでも、やっぱりすごいなあって思うわけですよ。例えば、ひざのくぼみをどう理解するか。人体としてのつながり、まわりこみがあり、その上に衣服のボリュームがある、それをさりげなくするっとつくっちゃっているんですよ、この人は。それを無視しちゃったら覚造先生に申し訳ない、そう思うんです。だから、「解釈」「いかに形を与えていくか」ということが、僕の中に生まれてきて、やはり監修では済まないだろうな、と。

建畠▼
レリーフの基本として遠近感というのがありますが、それの表現を見ると、人体を良く知っているなって。それを何気なく処理している、その上手さはあるね。

鷹尾▼
人体をよく知っていて、彫刻ってものもよく知っているんですよ。だからその辺を僕らが理解しなければならない。

 

—おそらく牧神のレリーフの中で、一番難しいのが「笛」なんですよね。

  • 建畠覚造氏作 「牧神(笛)」 
  • 建畠覚造氏作 「牧神(琴)」 

建畠▼
うまく逃がしているんだよね。法則性にのっとっているんですよ。親父は、かなりエジプトのレリーフを見たりしていたから、逃がし方と強調の仕方を知っているんですよね。ただ、今回のレリーフで、それが表現できているかどうかは、どうだろうね。この足の部分はうまくいっていないよね…でも、それはしょうがない。

 

—その辺がオリジナルとの違いですよね。

鷹尾▼
そう、オリジナルとそうでないもの。だからこそ解釈が必要になっちゃうわけで。解釈をした上で、それが表現できていなくても、それはそれでしょうがない、そういうことですよね。

建畠▼
方法が変わり、処理が変わり、大きさが変わり…リメイクって域を脱しちゃっているってところはありますよね。ただ、中之島のシンボルっていうのは、やっぱり絶対的に変わらない。

鷹尾▼
だからこそね、僭越ですがこの覚造先生のレリーフの原型は、大切にされた方がいいと思いますよ。もうこれしかないんですもん。オリジナルにおいては。今回、レリーフが新しくなったからこそ、オリジナルはより一層大切にした方がよくなった。そう言えるかもしれませんね。

 

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インタビューの最後に、「一番大変だったこと、注意を払ったことは。」との問いにお答えいただきました。



■最初の1週間は恐怖だった

 

建畠▼
僕なんかは、原型の勢いとか、細かい表現の箇所を捨てるかどうするかってところかな。最初は手探りのような状態で。だから、1体目はすごく時間がかかりましたよね。どういう風にやっていくかっていうのがまだ確立されていなかったからね。そこが一番大変だったかもしれない。どうなっているんだ?って前のレリーフを見に行って、作業してっていうことがすごく多くて。まだ置き換わってないんですよ、こちらの造形処理の言葉に。だけど、だんだん手探りだったところが、確立されてきて、制作の期間は短くなっていったよね。

鷹尾▼
僕はね、最初に信楽に行った時はやっぱり恐怖でしたよ。全部こういう調子で1週間もかかってきたらどうしようかってね。でも、最後の方は、もう任せてもいいなってところまでもっていくことができたんで、精神的には楽でしたよ。

 

—僕は最後の方が精神的ストレスはありましたけどね。

建畠▼
そうだね。オーミさんは、最後の方は大変だったかもしれない。僕らも、オーミさんに任せておけば大丈夫っていう気があったからね。なんとかなるだろう、なんとかしてくれるだろうって思いもあったしね。

  • 彫塑終了後の記念撮影 

鷹尾▼
非常に僕たちは楽観的な性格でしたからね。結構楽しみで行ってましたよ。だんだん慣れてきたし。

建畠▼
いいコンビだったでしょう。

—そうですね。おふたりがそろっていたからこのプロジェクトはできたのだと思います。

 

鷹尾▼
しかし、あっという間、一瞬でしたね。もう足掛け3年もたったと思えないもん。解体する前の古いビルに登ってあのレリーフを見た時のことを、昨日のことにまざまざと思い出しますよ。終わってみると良かったような、寂しいような、ですね。

建畠▼
僕は一瞬だったとは言いたくないね。この3年、色々なことがあった。長かったなって言いたいよ。

  • 中之島フェスティバルタワーに取り付いたレリーフ(2012.03.19撮影) 
  • 中之島フェスティバルタワーに取り付いたレリーフ(2012.03.19撮影) 
  • 中之島フェスティバルタワーに取り付いたレリーフ(写真提供:朝日新聞社) 

先生方のレリーフ再制作にかけた思いを伺い、改めてこのプロジェクトの重みを実感し、貴重な仕事を任せていただけたことを誇りに思いました。

時を超え受け継がれたレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」。

今、新しい命を吹き込まれ、これからの100年先も、中之島のシンボルとして生き続けます。



 

 

協力(敬称略):
朝日新聞社/朝日ビルディング/建畠朔弥/鷹尾俊一/建畠晢/日建設計/竹中工務店

中之島フェスティバルタワー 
https://www.festival-city.jp/

大塚オーミ陶業株式会社 http://www.ohmi.co.jp/

 

 

※ 当レポート内の画像及びその他内容の無断転載・転用を禁じます。

PDF:第Ⅶ回|完成(1.8MB)

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