日本および世界を代表する音楽家から絶賛され、2008年にその歴史を閉じた大阪の音楽の殿堂「フェスティバルホール」。
現在、その跡地に朝日新聞社が超高層の新ビル「中之島フェスティバルタワー」を建設中です。(2011年9月現在/2012年秋竣工)
名ホールとともに、中之島の風景として長年親しまれた外壁レリーフは、この新ビルにも装いを新たに設置されることになりました。
これからの100年先もビルの、そして中之島の風景の象徴として美しく存在感のあるものを・・・
50年輝き続けたレリーフと同じ素材“焼き物”で、しかも、当社の最新の技術と現代の感性をもって、新しいレリーフを製作することになりました。 その巨大レリーフ製作プロジェクトをレポートいたします。
— 「旧レリーフ」から「新レリーフ」へ ―
■フェスティバルホールのレリーフについて
中之島の川面に写る白い壁面、鮮やかなブルーの牧神たち。 フェスティバルホールのレリーフは、名音楽ホールのシンボルとして、また中之島の風景として親しまれてきました。それは、日本で初めてともいえる屋外巨大彫刻であり、半世紀も前の戦後まもない時期に、当時の若き彫刻家たちの手により制作されたものでした。
▶フェスティバルホールを併設した新朝日ビルは1958年にオープン、2008年末閉館した。南壁面に設置されたレリーフ、「牧神、音楽を楽しむの図」は、太陽や月、星のもとでギリシャ神話に登場する牧神。
▶ 旧レリーフ:行動美術協会彫刻部 協同制作 材質:陶板(信楽焼) 1958年作 当時の行動美術協会会員である建畠覚造・向井良吉・今村輝久・野崎一良・松岡阜らの手による。焼き物の里、信楽で合宿し、共同制作された。
ビルの老築化に伴う建替が決まったあと、新しいビルでのレリーフ検討のため、私たちは現地調査をさせて頂くことになりました。足場に登り間近で触れて見たそれは、下からの眺め以上の迫力でした。牧神は縦横約4~6m、一番小さな月でも2mにおよぶ大きさ。そして、1ピースが縦約30㎝×横約45㎝の大きな焼き物で、約350ピースに分けたものが組み合わせて作られていました。 物資も少ない時代に、これだけ大きなアートワークを設置することを考え、なおかつ若手作家たちに制作をゆだねることを決断した事業主の想い。そのチャンスをものにした当時の若者たちの喜びと意気込みが、このレリーフの勢いを作ったのでしょう。荒々しくも生命感のあるそれは、半世紀に渡ってエネルギーに満ちた存在感を放っていました。
▶表面は青いガラス釉で覆われている。 戦後、信楽で盛んに作られ入手がしやすかった、火鉢に用いられた釉薬と同じものと思われる。
■新レリーフ製作への決意
旧レリーフの痛みは激しく表面は薄汚れていました。しかし、その鮮やかな釉薬は変色せず形状もしっかりと保たれていました。事業者が検討した結果、新しいビルにも「牧神、音楽を楽しむの図」を設置することが決まり、耐久性の観点から旧レリーフと同じ素材“焼き物”で製作することになりました。
新しいビルと同様に新しいレリーフも、50年、100年と残るものを、という施主の言葉。私たちは、この仕事を受けるにあたり、一つの決意をいたしました。
《これからの100年を考える》
この度、間近にフェスティバルホールの南壁画の「牧神、音楽を楽しむの図」を拝見する機会に恵まれ非常に感謝をしております。 日本の芸術文化の幾多の繁栄を見守って来たこの陶彫レリーフの50年の経年には凄まじい痕跡があり、当時の制作の記録と今日までの歴史の記憶を持ち合わせ、先人の企画者の意識は100年の思想を反映したものと改めて 感じ確証を得た次第です。 高速道路から見る牧神の姿は圧巻であるにも拘わらず、濃い青の釉薬は、経年変化による剥落、本体の亀裂、コンクリートからの溶出、風雨によるホコリの染み等々、予想に反して思いのほか薄汚れて見えました。それにもかかわらず、牧神レリーフの彫刻は、壁から潔く立ち上がり、深く、激しく、流動的な勢いに満ちていました。特に頭部の彫込みは強烈で遠目からの印象とはまったく異なるものでした。正直申し上げて、現在のパワーで大先輩の意義を受け継ぎ、新しい形が創りあげられるのかどうか不安さえ感じた次第です。 中之島フェスティバルタワーの新たな「牧神、音楽を楽しむの図」の制作に関しては、最新の技術と現代の感性をもって、今日までの百年とこれからの百年を先人の叡智に学び謙虚に考え、創出する絶好の機会になるような取り組みとしたいと考えます。
( -当社コンペ提案資料より)
まったく同じものは作れない。 しかし、現代の感性でもって、新しいレリーフを創出する気持ちでいこう。 運も味方したのでしょうか。ちょうど当社工場内にプラント施設を撤去した大屋根の家屋があり、施主の要望した「新/旧レリーフ※を敷き並べ、俯瞰して見ることのできる場所」の確保が可能となったのです。それはまるで、このレリーフを作るためにできたスペースのようでした。そして、本プロジェクトを受注できた喜びと、これからの期待。同時にそれを実現させなければならない使命感。 工場内に旧レリーフが搬入され、いよいよ私たちの決意が試されるときがきたのです。 (※旧レリーフ:旧ビルに設置されていたレリーフ ※新レリーフ:新ビルに設置されるレリーフ)
協力(敬称略):
朝日新聞社/朝日ビルディング/建畠朔弥/鷹尾俊一/日建設計/竹中工務店
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